僕針捏造外伝・サンドラの場合

僕針捏造外伝・サンドラの場合

nano

彼女はいつも独りだった。


初めにそれを意識したのは同胞たちの集落で魔法の訓練をしていた時。

皆が必死になって器の水を凍らせる横で池に氷山を作ってみせた。

笑いながら互いに静電気を走らせてじゃれ合うのを尻目に雷で鳥を撃ち落とした。

最初こそ尊敬を含んでいた周囲の目が、恐怖と嫌悪感に染まるのにさほど時間はかからなかった。

――あの子は魔力を放出するタガが外れている。我々にとって生命そのものと言える魔力を一切の躊躇なく使い切ることができる。

だから身体も成長しないのだろう。異常だ。きっと呪われているに違いない。いっそどうにかして死なせてしまう方が……

大人たちが口々に話しているのを聞いた夜、サンドラは逃げるように生まれた森を離れた。


それからずいぶん長く、はっきりした記憶はない。

パン屋の売れ残りを分け合う物乞いに紛れようとしたら、自分だけ店主に水をかけられた。

宿屋に住み込みで働かせてもらえるよう頼んだら、ウチも客商売だから、とにべもなく断られた。

人里を離れたらエルフ狩りの密猟者に目を付けられ、撒くのに一か月近くかかった。

……見世物小屋に拾われて魔法を磨く機会を得たのは、待遇を除けば数少ない幸運だったか。


やがてサンドラはあらゆる物事に期待しなくなった。

心を閉ざし、すべてを遠ざけてしまえば傷つけられることはない。自分が誰かを傷つけることも。

人間が一人も見当たらないところがいい。誰もいない場所を目指した。


……それが失敗だった。

必定、人の手の入らないところには人の御しきれない魔物がいる。

湿気の多い洞窟に棲むその腐臭を放つドラゴンは、サンドラを餌とみなしたようだった。

抵抗した。あらん限りの魔法を放ち、文字通り命を削って喰われまいとした。

唯一の希望だった聖光魔法は、首を振る程度の痛痒しか与えられていない。アンデッドには回復魔法という常道も、使えなければ意味がなかった。

身体が軋むほどの魔力を消費して、ふとサンドラは思った。なぜ生きたいと思っているのだろう。

どうせ独りなのに。生き残っても、生き残らなくても誰も何も感じないのに。

それでも、口をついて出た言葉。


「……だって、独りで、独りだけで、死にたくなんて、ないのっ――!」

誰に聞かせようと思ったわけでもない叫びだったが、しかし返事をする声があった。

「それは確かにそうだ。死ぬなら仲間と一緒がいいし、なるべくなら俺も死にたくない」

いつの間にかサンドラの後ろには甲冑姿の男が立っている。手には異常なほど巨大な剣。男はサンドラに問いかけた。

「独りきりが嫌なくせにこんな辺鄙なところに来るなんてどうした? こいつの討伐依頼に俺たちが来なければ、お前多分死んでいたぞ?」


「……『たち』?」

「アレクよぉ、真正面からは悪手だって聞いてただろ? 確かにこの嬢ちゃんはちと心配にしろ、見る限りこっちが不意打ちするくらいの余裕はまだありそうだった」

サンドラの疑問に答えるように、続いて現れたのは珍妙な服装をした痩せぎすで髭面の男。腰に携えた剣は妙に細長く、男の細さもあいまって切れ味の鋭さを想像させる。

「ムサシ、アレクがそんな合理的な奴じゃないのは分かってるだろう。助けが必要なところには後先考えず飛んでいくんだ、こいつは」

さらに姿を見せた人物の風体は珍妙を通り越して異様ですらあった。仮面で顔を隠し、長いマントを羽織っているため男とも女とも区別がつかない。

アレクと呼ばれた甲冑の男が宣言する。

「……というわけでムサシ、ちくわ、作戦は変更だ。どうにかしてあのデカブツに隙を作り、ちくわの回復魔法を叩き込む」

「アレの注意がこっちに向いたままでどうやって?」

「このエルフの力を借りればなんとかなるかもしれん。とにかく一発当たれば俺たちの勝ちだ」

そうしてサンドラに向き直って問う。

「悪いが、協力してくれないか? あの一番効いていた魔法だ、あれを合図したらあいつの顔めがけて撃つんだ。やってくれるか?」


「……あなたたち、バカなの?」

サンドラの答えは肯定でも否定でもなく、純粋な疑問だった。

「私はあなたたちとは初対面だし、おまけにエルフなの。どうして一緒に戦うと思えるの?」

アレクは事もなげに答える。

「多少即席でも、仲間だからな。信頼しなきゃ、成果は上げられない」

「仲間なんて――」

「同じ戦場にいて、死にたくない、死なせたくないと思えたら仲間だろう」

言いたいことは山ほどあった。戦場には巻き込まれただけだし、別に死なせたくないとは思ってない――。

ただ、仲間という言葉が不思議と心地よかった。自分を遠巻きにしてきた人間やエルフたちと、どことなく彼らは違うと思えた。

「――わかったの」


「よし……ムサシ!」

「おうよ」

ムサシの細身の剣が空間を割くように圧を放ち、ドラゴンの片翼を切断する。

大きくバランスを崩した竜は一旦地上に降り、態勢を立て直そうとした。

「今だ、嬢ちゃん!」

「私にはサンドラって名前があるなの!」

ここまでの戦いで魔力を使いすぎた自覚はある。口の中に広がる血の味に構わず、最大威力の聖光魔法を巨竜の顔めがけて放射する。

「それはすまなかった、よくやったぞサンドラ!」

わずかに巨体が揺らいだ一息で距離を詰めたアレクが、太い首の根元を剣で押さえた。

「ちくわ!」

「わかっている!」

両手から放たれた柔らかな光を浴びた途端、ドラゴンの表皮がどろりと溶けた。

のたうち回る巨躯を巨大な剣がしっかりと留める。ほんの数秒で頭は動かなくなり、やがて発光とともに全身が消え去った。


「……討伐完了、だな」

「ああ。だが、その前に……サンドラ」

「お礼は言わないの。助けられた分ちゃんと助けたの」

警戒するサンドラにアレクは笑って告げた。

「違うさ。俺たちのパーティに入ってくれないか? 優秀な魔法使いを探してたんだ」

「……私に、仲間になれっていうの?」

「仲間にはもうなっただろう? もうちょっと続けてみないか、ってお誘いだよ」

「嬢ちゃん、上級魔法の同時詠唱もやってたな。こりゃ掘り出しもんだぜ、息子に自慢できる」

「……確かに、ここで別れるには惜しい人材だな」

後ろの二人も同意見のようだった。しばし呆気にとられたサンドラだったが、やがておずおずと返答した。

「……それじゃあ、もう少しだけ……あとちょっとだけ、仲間、続けてみるなの」

「決まりだ」


「そっちはまとまったとしてよぉ、討伐の証拠を持ち帰らないとだぜ」

「さっき何かが死体から落ちたな、おそらくドロップ品だろう」

慣れたものなのだろう、3人は手早く周囲を探索し、輝く宝石を見つけだした。

拾おうとしたちくわが手を止め、サンドラに言う。

「パーティメンバーとしての初仕事だ、このブローチはお前が保管してくれ。仲間の信用を預かる大事な任務になる」

「……? わかったの」

不自然なタイミングに少しばかりの疑問を持ったが、美しく装飾されたアクセサリーなど、生まれてこの方触れたことすらない。

興味が勝ち、ブローチに手を伸ばした瞬間、宝石はサンドラの服に張り付いていた。


「こ、これって……」

「やはり、呪われていたようだな」

「わかってて拾わせたなの!?」

「心配いらん、不吉なものでないだろうことは確認した。運気が上がるくらいはあるかと思っていたが、まさか何の効果もないとは」

全員が大笑いする。サンドラも最初こそ立腹し、3人を糾弾したが、やがて一緒になって笑い出した。

誰かに悪戯を仕掛けることも、その仕返しに追いかけまわすことも。仲間でなければできないと思った。

「本当に……みんな、『バカ』ばっかりなの」


彼女は今、独りではない。

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